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2013年2月

2013年2月16日 (土)

暖房器具支援プロジェクト

2011年10月に
「東北ほっとプロジェクト」の”ストーブ支援プロジェクト”を
紹介させていただきました。


自宅避難者の方は津波の被害で
1階においてあった家財がなくなり、
自宅避難者は災害救助法の適用外のため
新たな生活用品を義捐金でご自身で購入されたり、
親戚や友人、ボランティアなどの協力で得ています。

支援がなければ、寒い冬を今の環境のまま
すごさなければならない方もいらっしゃる。

物資支援に関する賛否もありますが、
自分が見てきた事実をもとに、支援が必要だと思い
ストーブ支援プロジェクトをご紹介いたしました。





あれから1年5か月、被災地に足を運び
「みなし仮設」「借上仮設」に入居している方々は
既存の制度の下では厳しい支援状況にあること、
また見た目に被災者とは分からないため、
コミュニティからも離れた状況にあり
情報もなく孤立した状況にあることがわかりました。

その中で暖房器具の強い要望があることが分かりました。



東北ほっとプロジェクトが、暖房器具支援再開をいたしました。
ぜひ、ご一読いただきご支援をご検討ください。

東北ほっとプロジェクト
http://tohoku-hot-project.blogspot.jp/

東北ほっとプロジェクト
「暖房器具支援の再開と、みなし仮設住宅の現状について 」
http://tohoku-hot-project.blogspot.jp/2013/01/blog-post_12.html

ボランティア活動-個人宅の片づけ(2/10)

この日は石巻市内の個人宅の片づけでした。



昨日ご一緒した男性と依頼主の男性と3人での作業です。
午前中は長期ボランティアのFさんも一緒でした。



お宅があるエリアは海に面し、
被災で300世帯から10世帯に減ってしまった地区です。


この地区は道路が碁盤状だから、という理由で
居住制限区域になりませんでした。

居住制限区域にならなかったので、
移転に支援はでないそうです。



一階が被災して天井まで浸水した家屋は、
未だベニヤ板やブルーシートで扉を仮補修したままでした。
ご自宅の1階も床や壁がはがれたままです。




周囲は、同様に1階の窓や玄関を仮手当をしたままの家が
ぽつんぽつんとたっています。

1年11か月たって
「一階が被災し修繕ができない状態で二階に生活」する家屋が
 いまだに残っていることに改めて衝撃を受けます。




震災で、働いていた企業がなくなり、
アルバイトで生計をたてる家人に、1700万円の修繕費は厳しく
ご自身で床や壁・天井を少しずつ直しているそうです。

少しでも負担を減らせれば、とボランティアが片づけを手伝っています。



まずは自宅を修繕するために隣の倉庫に移しておいた
箪笥の解体から。

おばあちゃんが解体に立ち会います。

壊しながら、中に入っていた衣類をだし、
回収用に仕分けをします。
2年間塩水に使った服を、それでも確かめながら
おばあちゃんがいくつかとりわけていました。


Fさんが、
「個人宅解体を手伝っている別の現場の方から、
 使えるものがあればと言われている」との
ご提案をされ、家人の方とふすまをいただいてきました。

いただいたふすまは、被災して当然汚れています。
枠を使うのだそうです。
わずかな節約でも、必要とされる現実があり、
その橋渡しのお手伝いもボランティアがしています。


ある部分の修繕の見積もりをとったところ
高額だったため、Fさんは
別の業者に相見積をとるお手伝いもしていました。



不要になった家具の解体や片づけ。

午後からは倉庫の中に、作業場を設けるための
断熱材貼りと錆止め作業。

倉庫の掃除までしてこの日の作業は終了しました。






休憩時間や、作業の合間に、家人の方がいろいろ話してくださいました。


発災時は津波警報(サイレン)が鳴っていた。
ラジオをつけたら、牡鹿半島に津波がこないという
内容だったので、ラジオをOFFしたこと。
その後周囲から人気がなくなり胸騒ぎしてもう一度ラジオをつけたら
女川に3階相当の津波が来たと聞いてあわてて避難をはじめたこと。

近くに公園があり、津波がきたときの避難所になっていたが、
そこは高さ1.5mしかない。
避難した人がやっぱりいて、亡くなっていること。

津波で流された車がトンネルをふさいでしまい、
そこしかルートがないので
自衛隊がしばらく救助に入れなかったこと。

最初に食糧を口にしたのが4日目。
1日にイチゴ3つとか、ビスケット1枚とか、ヨーグルトだけとか。
温かい食糧を初めて食べたのが、ボランティアの炊き出しだったこと。

その後石巻の市街地の避難所に避難したが、
周囲のファミレスや商業施設は通常営業しているような場所で
被災していない市街地だからか、支援が全く入らず、
食糧にも不足していたこと。

逆に自宅付近の被害が大きかったところに支援がたくさん入り、
行き違いがあったこと。

自衛隊の仮設風呂に入れたのは4週間目だったこと。
衛生状態がよくなかったこと。

自宅に戻ったが、しばらく非常に治安が悪かったこと。

海沿いにあった水産加工会社は、再開を目指しているが
地盤沈下しており、かさ上げしないと建設のめどが立たないこと。

一方、いち早く元の場所に再建した水産加工会社もあるが、
地盤のかさ上げを行うとその会社は「地下」になってしまい
安全的にも経済的にも不都合で、反対せざるを得ないこと。




壮絶な体験を笑いながら話してくださいました。

また一筋縄ではいかない問題も含まれていて、
簡単に「復興」が進まない現実も垣間見えました。


お話しいただいた内容はいつか総括して見直さなければならない話です。
一方、今はまず通常の生活に戻るための支援の手が必要です。

ボランティア活動-事務所の片づけ・個人宅の植木抜き取り(2/9)

2/9-10の2日間、一般社団法人チーム王冠さんの活動に参加しました。



渋谷駅発、石巻行の深夜バスで早朝石巻駅に到着。
駅からセンターにはタクシーで移動(800円程度)です。



タクシーに乗ると拠点がある公園名を行先に告げるのですが、
ここ数か月、ほぼ100%、運転手の方から
「ボランティアセンター?」と聞き返されます。

拠点名は「在宅避難世帯サポートセンター」で
ボランティアセンターという名前はついていないのですが
早朝から、荷物をかかえた人たちが、小さな公園に向かうのが
不思議で聞かれるのだろうな~と想像してます。





午前中は石巻市内の事務所の片づけでした。


東京からいらした男性の方と一緒に伺いました。

この方は震災後の夏から、
中古家電を集めるプロジェクトで
多数の家電の収集をされていたそうです。

「東北ほっとプロジェクト」のメンバーを通じて家電支援をされ、
今回はじめて現地に足を運び、活動に参加したとのことでした。




事務所にお伺いすると依頼主の女性の方が待っていました。
こちらの従業員で、上司の男性とお二人で事務所を切盛りしているとのこと。


男性の方は震災後、病を患ってしまい無理をするのが難しく、
一人では事務所の片づけが難しいとのことで、お手伝いに入りました。


事務所の奥にある談話室のような部屋を
被災支援活動の場に使っていただくために
部屋にある荷を事務所側に移動すること、
それに伴い事務所のレイアウトを変更する作業でした。




利用を予定しているグループに
石巻にいる外国人の方々を支援する小さなNPOがあるそうです。

外国の方が石巻やその周辺にいるそうですが
言葉やコミュニティの問題から、
被災者支援から置き去りにされることが多いため、
在日の外国人をサポートする方がいらっしゃるとのこと。

様々な状況があるのだと、また1つ知りました。





棚やソファなどを動かすと、泥がでてきます。
ソファの足や床上も、震災後にふいたと思われるのに泥が残っていて、
拭き掃除をすると、雑巾があっという間に、
被災地で何度も嗅いだ少し独特な匂いがする汚れがつきます。


何度も拭いているが、この泥汚れは、水拭き掃除では
きちんととれないそうです。

震災後の夏に、被災した個人宅にお伺いした際にも同じ話を聞きましたが
1年11か月もたって、まだ跡が残るのだと思いました。







作業を終え、午後は個人宅の庭にある植木の掘り起しです。


被災して住めなくなったご自宅の庭の植木を
公園に植樹するために、植木を引っこ抜く作業でした。
数日前から行っていた作業で、今日が最終日。


午前中から作業をしているチームに合流し、5名での作業。


生きている植木は、根が地中広く張り巡らせていて、手強い。
雪で土が凍ってるので、スコップ作業も難儀。

私は比較的、細い幹の木を担当しましたが、
立派な木を担当した男性陣は、本当にたいへん。

全員泥だらけになりながら、穴掘り庭堀でした。
掘り起こした植木の養生まで行い作業は完了。


ご自宅はこの後取り壊されるそうです。

植木は、新しく高台にできる公園に移植予定とのこと。
地域の皆さんで、どこに、どの木を植えるか相談しながら
移植するそうです。

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