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2012年10月

2012年10月28日 (日)

ボランティア・チーム王冠(10/7・土地整地のお手伝い)

最終日の3日目は石巻の個人宅の土地整地のお手伝い。

2日目とは別のお宅で
震災前はご夫婦でお住まいでしたが、今は
旦那さんのおひとり暮らしだそうです。



津波で門の前に砂や土がたまってしまい、
門が動かなくなってしまったので、
土砂をよけ、整える作業です。



最初にFさんが現場をみて、作業指示を出します。
その後は福井から今回初めて被災地にいらしたという
3人の方と4人で作業をすすめました。


門の車輪が通る舗道にたまっている砂をよけ、
舗道周辺に砂利を埋めるための砂を掻き出しました。

砂といっても津波で流されてきた土砂まじりで固くなっており
まずは鍬でたがやし、その後スコップでかきだし
掻き出した砂を庭全体に撒き、ならしていきます。

かき分ける砂の中に、
ガラスや陶器の破片がいたるところに入っていました。
また靴や日常生活の品の破片もありました。

また庭が荒れていましたので草むしりもしました。
その際に軒先の土を掻き出したところ、
震災直後にはよくみたヘドロがたまっていました。
掻き出すとヘドロ臭がしました。


伺ったエリアは石巻でも被害が大きかったエリアです。
しかし損壊した周囲の家は取り壊され空き地になり
残った家の外観は修繕され、
被害の爪痕をわかりやすい形で
見る場所は少なくなりました。

しかしよくみると、
1年7か月たちますが
まだまだ震災・津波の跡がリアルに残っています。


4人で作業をしましたが、
門周辺の土地の整地は終わったものの
庭の片づけまでは終わりませんでした。


継続作業ですが、ボランティアが少ないため
いつ次の作業に入れるかお約束できない状況だそうです。

作業の手はまだまだ必要です。

ボランティア・チーム王冠(10/6・家屋修繕のお手伝い)

2日目は石巻の個人宅の修繕のお手伝い。
この日はペンキ塗り。


長期ボランティアの方をリーダーに
中期ボランティアの男性と、3人で伺いました。



築45年になるご自宅。
ご年配の夫婦では手が回らない箇所のペンキ塗りです。


「ペンキ塗りは塗る工程よりその前の作業が大切」との
リーダーのFさんの指示に従い、目張り作業から始めます。


目張りをする際のテープ貼り。
これまた最初はうまくいかず、Fさんに「へたくそー」と言われ
貼るコツを教えてもらいながら作業。


Fさんは、大工的なお仕事に造形が深い方で、自ら工具も色々お持ちです。
チーム王冠は、在宅避難者の方の支援をメインにしていることから
個人宅修繕のお手伝いニーズも少なくありませんが
Fさんがいなければここまで対応できなかったのでは、と思います。


目張り作業後は、ペンキ塗り。
簡単といわれても、普段ペンキ塗りをしない自分にとって、
人様のご自宅に手を入れるのは緊張します。

とはいえペンキ塗りのコツを教えていただきながら、
黙々と作業しているうちに楽しくなりました。
(これだけずっとやっていたいくらい・・・)


あっという間に日が暮れて、
最後は電気を照らしながらの作業になりましたが
無事に全部ペンキを塗り終えて作業は終了。







こちらのお宅は、昨冬に行った毛布支援がきっかけで
支援をすることになったお宅だそうです。

スタッフに聞いたところ、大規模半壊・床上浸水し
ご夫婦お二人とも入院するほどの大変な状況だったとのこと。




1年7か月たって、外観は修繕され綺麗になった家も少しずつ増え
一見してお手伝いの目的がわかりにくい状況が
増えてきた印象を受けます。

そのような中、作業の目的には
より「心のケア」が含まれるフェーズになってきたそうです。


心のケアはカウンセリングやイベントのような直接的なものばかり
ではありません。

家の修繕、泥かき、片づけ・・・は震災直後もそうですが
現況を回復する、という意味もありますが
「傷跡をなおす」という意味も含まれます。
震災の傷跡をなおすことが、心の負担を軽減する意味もあるそうです。


自分では手が付けられない方、途方に暮れてしまう方も
第三者の手を借りて、傷跡をなおすことにより、
心機一転する「何か」につながることもあるのだとも伺いました。



もう1点、ご自宅の作業には、ボランティアとの会話が
心のケア、気軽に言えば
「気分転換」になる場合も少なくないそうです。


被災者同士では様々な点で生々しくて話しにくい話も
第三者のボランティアになら、気軽に話せる場合がある。


今回の作業も、もう少しボランティアの人数が多ければ
休憩時間を長めにとり、お話を聞くことができたのに、と
Fさんは残念そうでした。


ペンキ塗りを優先せざるを得なかったのですが
家人のお話を聞くことも、とても大切なことだそうです。


また、帰路、Fさんは
ボランティアは作業は笑顔でしてほしい、とお話していました。


仏頂面だったり、まともに会話ができなかったりする
ボランティアもいるそうです。
ただでさえ、遠慮してボランティア作業を依頼している人が
少なくないのに、そのようなボランティアが一人でもいると
次から依頼してこない。


単なる作業のお手伝いもあるが、
十分な支援がいきわたらない今の状況では
継続した支援が必要な方もおり、
なんのために来ているのか、考えてきてほしいと話していました。


ボランティアは、申し込めば基本的に団体は受け付けてくれます。
仕事と異なり、明確に成果を求められることや
評価を受けることもあまりありません。

だからこそ、参加する方も目的を考えて、振舞うことが
大切なのだと思います。

ボランティア・チーム王冠(10/5・漁業支援)

早朝に石巻駅に到着。
活動拠点に向かい、今日の仕事を確認。
作業場所である石巻のある港付近に8時に向かう。



7月にカキ養殖のお手伝いをしたお宅でした。

(同じ作業をされた「東北ほっとプロジェクト」の方の活動報告
 あります)



この日は牡蠣養殖の「種はさみ」という工程のお手伝い。

7月に貝殻に穴をあけ、貝とゴム管を交互に針金を通し
海に沈めたホタテの貝殻を、作業の分ずつ作業場に海からあげます。


穴あけをしたホタテ貝に、2-3cmくらいの牡蠣の種が
びっしり!と付着。
この貝を、よってある2本の長いロープの間に挟んでいく作業です。


まずは10m位のよってあるロープのよりをゆるめるために
作業台の紐かけのような場所にロープをかけ
よりをゆるめる作業をします。


ゆるめたロープに10cm位の間隔でホタテ貝を挟んでいくのですが
お母さんの、流れるような見事な作業。
ロープをなでるような感じで、つぎつぎホタテ貝が挟まっていきます。
(映像でおみせできないのが残念なくらい)



私は、ロープのよりをゆるめ、タネはさみの作業中に
次の作業用のロープをロープの束からよりわけ、
タネはさみが終わったら、再度ロープをよる役割でしたが
途中からタネはさみ作業もさせていただくことにしました。


が、うまくいかない・・・
ロープが緩いところは簡単にいっても、モタモタと・・・
見かねたお父さんが、体の向きとか、貝の持ち方とか、
挟むときのロープのひねり方とか指の使い方など都度指導。


「こういうのはねー、どうやってうまくやるか、人のワザを見て盗むんだよー」
と笑いながら教えてくれました。


一連の作業を1度に2本ずつ、30本程度します。

これが終わると、また海に戻すために1m程度にロープをおりたたみ、
上下を紐で縛り、重ねていきます。


これまで「養殖」というと、もっと自動的、工場的なものを想像していましたが
7月と今回の作業だけをみても、とても細かい作業の積み重ねで
何かを成育させるという印象を受けました。


休憩時間に正直な感想をお伝えしたところ
「農家は畑や田んぼで丁寧に農作物を育てる。
 それと同様に、漁師は牡蠣を手間暇かけて育てるんだ」と
お父さんが話してくれました。


今後は11日に去年海にいれた牡蠣の成育をみて、問題なければ
牡蠣の出荷が解禁になり、殻むき作業がはじまるそうです。



細かい工程の積み重ねと
人手が必要な作業だということ、
コミュニティの方が皆で集まって手伝う必要性も容易に想像できました。
だから、震災で人手が集まらない今、ボランティアが一人でも二人でも
必要とされるのだと思います。




チーム王冠さんは、長い間こちらのお宅を支援しています。
チーム王冠では”お茶っこ”、”歌っこ”などの
コミュニティ支援活動もしていますが、その会場探しの際に
偶然出会ったそうです。

コミュニティ支援活動は、今、地域には大切だから、と一緒に会場探しの
お手伝いをしてくださったそうです。

その活動の中でたまたま
チーム王冠スタッフがご自宅にお伺いしたところ
家は壊れており、住めない状態であることがわかりました。

実際私がお伺いしたときにもご家族は、家の隣の納屋にお住まいでした。
トイレは仮設です。


津波で船も漁具もすべて流されてしまったそうですが、
家屋は壊れても流されなかったため、
周囲に気遣いSOSをあげなかったそうです。


養殖は適切なタイミングで準備が必要で
今そのときに必要なものがないと養殖ができない、つまり
収入が得られません。




一時期ボランティアが現地の仕事を奪う、という話が
ネット上でも現地でもありました。
しかし少なくともこのような作業はコミュニティで
支えあってきたものであり、津波で人がいなくなり
コミュニティがなくなってしまった今、代替するものはありません。

アルバイトで集まる作業でもありません。




作業=お金という感覚でいる私たち非被災地、非被災者の感覚で考えると
見落とすものがあること、
また、なにより現地の方々が早く通常の営みに戻れるように
できることから手助けすることもまだまだ大切なのではないかとも思いました。

2012年10月12日 (金)

ボランティア・チーム王冠(9/16・漁業支援)

3日間のお手伝い最終日は、女川の方の漁業支援。


王冠さんが
11年7月にはじめて物資支援してから現在までずっとサポートを
続けているお宅です。

私も、11年7月の最初の物資支援の説明(同行)から
11年12月の漁船の修理のお手伝い
とこれで3回目。



この日は漁具(網)の修理のお手伝い。
養殖用の貝をいれるような蛇腹風の網のほつれを
ひとつひとつなおしていくものです。


朝7時に女川港の船着き場に伺い、
そこから船で20分くらいの離島での作業でした。
女川原発を横目に見ながら離島に行く。


最初は息子さんと私の二人で作業。
震災後、いち早く再建にむけ立ち上がった方なのですが、
その時の話や、それにより全国より支援をいただいたこと、
人のつながりができたこと、などたくさんのお話を伺いました。

夕方からご両親も加わり、とても賑やかな中での作業でした。



夕方、女川に戻るために、船着き場に戻ろうとしたところ
周囲一帯が水に沈んでいました。
震災で地盤沈下したため、
満潮になると毎日湾周辺は道路ごと浸水するそうです。

少ないながらも人が住む離島ですが
いつ修繕されるか目途もたっていないそうです。

膝下までつかる水の中を船まで歩き戻りました。
(深いところは膝上までありました)



また、女川湾まで戻る船で、お母さんから
ボランティアの数が少なくなっていることについて

「物資支援をいただいたのは、とてもありがたく感謝しているが
 生活の基盤を立て直すこれからのほうが人手が必要。
 お手伝いの手があるかないかで、立ち直れる人、そうでない人が
 出てきてしまうのではないか」
と心配の声をいただいた。

いち早く、生活再建のために支援をもとめ
活動したお母さんだからこそ思うところがあったのだと思う。


色々お話している間に女川湾にあっという間に着く。
ご挨拶してこの日の作業は終了。

ボランティア・チーム王冠(9/15・合同慰霊祭のお手伝い)

この日は、曹洞宗青年会の主催で、石巻の魚町で
合同慰霊祭が営まれました。


震災から1年7か月たちますが、
いまだに心穏やかに過ごすことができない方
あの日以来海に足を運ぶことができない方など
つらい思いをされている方々に
「少しでも前を向く機会としていただくために」
曹洞宗青年会の主催で営まれました。



魚町は名前のとおり、海に面した水産加工場が多く立ち並ぶ場所で
建物が撤去され、空き地になった場所もありましたが、
被災したままと思われる建物も少なくなく、
改めて震災の被害の大きさを認識する場所でした。



まずは全国から集まった曹洞宗の70数名の方々が
3コースに分かれ、石巻市内の慰霊行脚。


行脚から戻られると、海に面した祭壇に向かい
僧侶の方々全員で法要を営み。
犠牲者のお名前を読み上げ、冥福を祈り
町の復興を祈願されていました。

供養の後は集まった一般市民の方々によるお焼香がありました。


私たちボランティアは、全国から集まる僧侶の方々や
一般来場者の交通誘導と
海に面した会場だったため、子供の安全に配慮する
裏方的なお手伝いをしました。

ボランティア・チーム王冠(9/14・地ならしのお手伝い)

早朝石巻に到着。晴天。



この日は東松島のある個人宅の土地の地ならしのお手伝い。


地震と津波で傾いてしまったご自宅の再建を予定しての作業。
大学生の男性2人と3人で参加。


土地の造成のような作業は、
業者さんが行うものなのだそうだが、
「先の見通し」を思って家人の方だけで
行おうとされていたらしい。


作業のした場所は、
もともと造園用の木々があった場所で
すべて津波の塩害でやられてしまったそうだ。

この土地に家屋をたてるための整地作業。
家人の方がトラックでどこかからか砂利を運んでくる。
これらの砂利をならし、でこぼこをなくし、水をまき、
上から転圧をし、固めていく。
これの繰り返し。

転圧とは、土を均し砂利を敷き詰めローラーなどで圧力をかける工法。
ランマーやローラーを使って地面を固める。



業者が重機で行う作業と異なり、人力でやる作業は期間もかかったそうだ。
1m以上の砂を重ね、土地の整地と塀の設置まで数か月にも及ぶ作業。
ずっとボランティアが入れ替わり立ち代わり手伝いに入り、
この日が最終日だった。

力仕事にあまり役にたたない私は、砂利のならしや平らにする作業。
大学生の二人は、仕上げの転圧作業。力仕事だ。

転圧用の機材を使うのも力がいる仕事。
9月中旬とは思えないくらい、日差しが強い中、
大学生の二人は、連日肉体作業をしていたこともあり、
体力的には厳しい仕事だったようだ。

それでも作業をこの日で仕上げるために、黙々と
懸命に作業をしていた。


お手伝いに伺った場所の自治体からの
大規模半壊に関する支援金は50万円。
再建方法に応じて加算される支援金は最大200万円。
応急修理制度による支援は最大52万円。(受付終了)



整地作業が終わっても、
「本当に(家が)建てられるかわからないけど」
とおっしゃっていた。


限られた費用を節約しながら使うために
ご自身で、またボランティアがお手伝いしながら、
ご自宅の建設準備を進める。


また、周囲は再建が進んでいる家が立ち並んでいたが
作業の音について、苦情がきていたそうだ。
「どうしても外でやる作業だから・・・」と家人の方は気にされていた。
そして、少しでも人手のあるうちに作業を終えようと、
ほとんど休憩もとらずに、ずっと働いていらした。

その姿をうけ、この現場を継続的に担当していた大学生を中心に
この日で作業を終わらすために、私たちも作業に向かう。


業者が入れば、短い期間ですんでいたのかもしれない。しかし
「先の見通し」を考えて、おひとりででもやろうとしていた作業。
一方、普通の生活に戻っている方々にとっては、折り合いのつきにくい
状況だったのかもしれない。



復興支援金が十分に行き届かないことが、
このような状況を生んでいるのかと思うと
複雑な思いがわいてくる。

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