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2011年9月

2011年9月27日 (火)

ボランティア・チーム王冠(9/18・物資配布)

石巻市渡波エリアと女川町(女川湾周辺))エリアに物資配布のお手伝い




朝起きると、凛家の王冠控室から、仕事している雰囲気が。


前日から活動している、山形の
女性が徹夜で仕事をしていた。
ご本人は仮眠をとりながら、と言っていたが、毎度すさまじい。


支援に関するデータの整理と入力をし、配布に備える。
スタッフが特攻隊で飛び回れるのも、
こうした後方支援に支えられているからだ。


「山形」の方々は本当に熱い。






この日も物資配布。
石巻市渡波エリアと女川町。


渡波は80世帯 250名分。
女川町は5-6チーム分。



朝8時に大河原町の凛家を
王冠スタッフとボランティアの女性2名と一緒に
軽バン2台で出発。



関東から参加の女性は、
震災後からご自身で食料物資を購入し個人支援をされていたそうだ。
気仙沼から沿岸部を南下する形で、物資配布をされていたらしい。
北関東のご自宅から、自家用車でいらしていたが
後部座席には、活動で購入したレトルトカレーや生活物資などがあった。


震災から6ヶ月たって、市街地に商店などが再開したと聞く中
今でも物資支援が必要なのか確認もしたくて、
ボランティアに参加したそうだ。



もう一人の女性は、ボランティア参加2回目でいずれも王冠での参加。
泥かきなどの肉体労働は自分は役にたたないのではないかと考え
当時王冠HPで、「猫の手も借りたい」とあったので
非力な自分でも役に立つかもしれない、と思い王冠を選んだそう。






10時に石巻市渡波倉庫到着を予定していたが
三陸道の出口渋滞に起因すると思われる渋滞がひどい。


松島北ICは、料金所から本線まで渋滞しているのが見える。

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渡波倉庫で東松島プラスネオの方々と合流。
トラックがないので、軽バン3台で
倉庫と渡波を往復しながらの配布。


毎度水の積み込み、積み下ろしが一番大変で
やるたび、汗をかく。

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渡波エリア。
昨日同様、いずこもとても喜んでいただく。
「待ってたよ~」というお声がけもいただく。

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また、ここでも市が配布する「お弁当」や「物資配布」をやめたとの声も。
「やってられない」と話すおじいちゃんもいらした。


夏物の衣類しかなく、長袖がほしい、冬用布団がほしい
冬の備えがないとおっしゃるご夫婦もいた。


夕方から女川町へ。
牡鹿半島の根元、女川港周辺に向かう。



石巻市から女川に向かう国道398号線。
昨夜以上に冠水がひどい。


万石浦付近の国道398号線は
海と道路が同じ高さで、
平行する仙石線も冠水。
海がすぐそこまで迫っている。



マリンパル女川などがある女川港付近も一帯が冠水していた。


この日は天気は晴れ。




女川は港付近を数箇所まわった。


港付近といっても奥まったところもあり、よくみつけたな、
というのが運転しての感想。


支援先の自宅のすぐ先の道路が崩落していた。

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大きな仮設住宅の真裏の自宅避難者のご夫婦。
仮設や避難所の支援を目の前で見て
”お互いつらいとは思うけども”、理不尽を隠せず、少し荒い口調で話す。





女川港一帯は、港からすぐ高台になっているところがある。
ちょっとした”がけ”のようなところにあるご自宅もある。


高台にあるそのご自宅は、津波でぬれた布団を毎日乾かして、使い続けていた。
7月下旬まで、その布団を使っていたのだ。



女川港周辺は7月下旬に捜索(と呼ぶ)したエリアだ。
それまで、人の手が入っていなかった現実を思う。




王冠スタッフの方に伺うと、
ここ1ヶ月支援に大きな変化はないが
牡鹿半島も支援の対象になったとのこと。
その人数は約970人!!



牡鹿半島で自宅避難者の捜索に同行させていただいたのが1ヶ月前。
わずか1ヶ月で1000人近い自宅避難者を支援・・・


交通の便が悪く、支援の手が届かなかった、
震災から時間がたって、生活のためにお金を使うことがより切実になった、
と考えるが、足を運べば、の状況に
ほかにどれだけいらっしゃるのだろう、と考えてしまう。




21時15分くらいに大河原に戻る。
今日は「いい湯」に間に合った。
お風呂に入って、夕食をとる。




23時過ぎから、ミーティングだったが
バスの時間が迫っていたので
中座しあわただしく凛家を後に。

ボランティア・チーム王冠(9/17・物資配布)


石巻市渡波エリアと大街道エリアに物資配布のお手伝い



午前中は大街道の2チーム 31世帯112人。
午後は渡波13チーム。(世帯数と人数はメモらず。)
一日かけて物資配布。


渡波と大街道は、チーム王冠が震災直後から支援してきたエリア。
震災から6ヶ月たって、自分では
「原点回帰」のような気持ちで物資配布のお手伝い。




早朝凛家に到着後、仮眠をとって朝8時30分に凛家を出発。
王冠スタッフとボランティア2名の女性と
ランクルと軽バンで2台で石巻に向かう。



石巻市の物資倉庫に立ち寄り、物資を積み込み
昼ごろ石巻渡波倉庫に到着。


倉庫の前で、側溝掃除をしているボランティア団体があった。
途中、「かながわ」の文字が入ったビブスを着た団体も
側溝掃除をしているのを見た。



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そして渡波倉庫前に、信号機が!
これまでは警視庁の方が手案内していたが、
3本も信号機がついて(数の問題じゃないんだけど)、
今回最も「新しい」感を感じたところ。

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この日は王冠スタッフの方々とボランティアの女性2名と
山形ボランティア隊10名と
東松島プラスネオ4名の方々とご一緒。

山形ボランティア隊は毎週土曜日にバスでボランティアに来ており
初心者参加率約30%→リピート率が高く、
顔見知りの方もできてきた。



この週末は4tトラックが借りられず、
軽バン2-4台でくるくるまわる。

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水(2リットル×6本)、カップラーメン、インスタントラーメン
お米(アルファ米またはパックご飯)、レトルトカレー
などをお渡しする。


午前中は大街道。
1.5ヶ月~2ヶ月ぶりとのこと。
私も7月下旬以来。

水がことのほか喜ばれた地域だったが
水を含めて物資配布自体にとても喜んで下さった。

半年もたって、すごく訪問を喜んでくださることに
正直驚く。

大街道の物資配布後、石巻市の物資倉庫に立ち寄り、
アルファ米とカップラーメンを運ぶ。



午後からは渡波エリアの物資配布。
7月上旬以来。
王冠の物資配布も少し時間がたっていたらしい。



7月上旬に訪れたときより、かなり喜ばれた。
いずれも久しぶりの訪問を待ちわびられる言葉をいただく。

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誤解を招くかもしれないが、
「国産でなくてもいいから」食料支援を継続してほしいとの
話もあった。



仕事が決まらず、収入がなく、先の見通しがたたないため、
時間がたつにつれ、将来の不安が切実になっているらしい。
「お金を使えない」こと、冬の備えがないことの不安をお伺いする。



一方、大街道でも渡波でも、市が配布する「お弁当」や「物資配布」を
をやめたと伺うところが多い。
市の配布も、一定人数をまとめ、リーダーさんに配布されるのだが
水さえも、希望数が届かず、申し込んでも必要数量がこないので
配布できないのだそうだ。


水だけでも市に申し込んでみたら、とスタッフがアドバイスをするが
リーダーさんの負担の割には、のようで継続意思はないそうだ。



ふたたび、石巻市の物資倉庫に立ち寄り、物資を運ぶ。


夕方は梨木畑まで物資配布に向かう。

いずれも道中、冠水がひどい。
潮の状態で、地面から湧き出るように水がでてきて、道路を覆ってしまう。

梨木畑は5グループが1箇所に集まり、
しかもリーダーさんだけではなく、ご近所の方々総出で出ていらして
物資を待っていた。

5グループ分の物資をまずは1箇所に下ろし、それから人数にあわせて
分けていく。
まるで「お店を広げたような」状態。

薄暗い中で到着していたが、仕分けにも時間がかかり
あっという間に暗くなった中で、
車のライトや持参した懐中電灯の明かりを頼りに仕分けていく。

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大街道・渡波とも、1ヶ月前から街の風景が変わっていない。

道路は綺麗になってきたし、信号機も少しずつ戻ってきた。
市街地では店舗も再開しはじめた。
復興横丁のようなものもある。


しかしこのエリアは破壊された自宅や店舗がそのままの状態が多い。
回っていた地域は、「制限区域」とのことで、
石巻市の復興方針次第らしい。
方針によっては、立ち退きになる可能性がある地域だ。

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自宅修理をしている方は、自己判断で修繕に着手している。
万が一立ち退きエリアになったら、その費用は手当てされない。

修繕する方も、厳しい判断だし
待っている方も、1階が被災した状態で冬をすごさねばならない。

道路はきれいになり、信号機がつきはじめ、
市街地には商店も復活したが
今回訪問した地域は6ヶ月たっても、わずかな漸進がみられるだけだ。

6ヶ月たって、物資支援がこれほど喜ばれるこの状況は、正直複雑。

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